2012年12月24日月曜日

仏説阿弥陀経 第一楽章 極楽荘厳の部




Vol.2-1 仏説阿弥陀経 「第一楽章/極楽荘厳の部」
Sukhāvatīvyūha/Amitâbha Sutra
A land of beauty and happiness
幸せにあふれる美しき国

唱経、作曲、編曲、プログラミング、ミキシング、撮影、編集/柳澤瞳生
英訳/西本祥生


2012年10月20日土曜日

仏説阿弥陀経




Vol.2 仏説阿弥陀経 その1

皆さんは「極楽」を知っていますか?
何となく読んで字のごとく、極楽は気持ち良くて最高に楽チン、
誰もがそんなイメージを描きます。また極楽と云う言葉はそんなイメージの代名詞にもなっています。
そしてその対極にある「地獄」については、皆さんはもう少し具体的なイメージや情報をお持ちのはずです。

どちらも基本的には死後の世界の事ですが、知れば知るほど地獄には行きたくないと思うし、
知れば知るほど極楽に行きたいと願うようになります。これを発願(ほつがん)と云います。
発願は極楽へ行く為の大切なキーワードとなります。

地獄のことは子供の頃より、そのシステムや風景などは聞かされて来たように思います。
しかし極楽のシステムや風景などを話してくれた大人は、残念ながらいなかったように思います。


極楽がどれほど素晴らしい世界で、そこで暮らす人々がどれほど素晴らしい暮らしをしているのか、
そして極楽へ行くにはどうしたら良いのか。これはそんなお話なのです。


今から2500年前、現インド中東部に位置した舎衛国の祇園精舎にて1250人の弟子達を前に、
釈尊は極楽」と云う名の「仏の国」の存在を初めて明らかにしました。
そしてその時の話をまとめたものが、この「阿弥陀経」なのです。

阿弥陀経をひと言で云うならば、
極楽に関するすべての情報を取りまとめた、極楽に往くための手引書と云う事になります。

(この阿弥陀経の折本は全体の1/2ほどで、全編はこの写真の2倍ほどの長さです)
阿弥陀経/極楽荘厳の部 全体の1/2ほどの作曲が完了した。
Drums、Bass、Piano、リズム形式、Strings、Horn Section、Vo(唱経)等のレコーディングも完了。
246小節で第1楽章(上巻/極楽荘厳の部)として一区切りをする。

 阿弥陀経/極楽荘厳の部
(一)


(二)


(三)

阿弥陀経は1900年前にインドで編纂され、1600年前に秦の皇帝の勅命により鳩摩羅什三蔵法師が漢訳をしました。
そしてその750年後に法然上人が浄土宗を開宗し、阿弥陀経を日本に伝え800年の月日が過ぎ、
今ここにこうしてあります。


西方にあるこの「仏の国」、仏国土(ぶっこくど)と云いますが、
この極楽と云う名の仏国土にいる仏が阿弥陀如来なのです。だからこのお経を阿弥陀経と云うのです。
阿弥陀如来が極楽に住んでいて、極楽は阿弥陀如来の国だったと云う事を皆さんはご存知でしたか?
これらの事柄は阿弥陀経を学ばなければ知る事は出来ません。


阿弥陀はサンスクリット語でアミターバ(無限の光をもつもの)、アミターユス(無限の寿命をもつもの)の音訳で、
無量光仏無量寿仏とも云います。

通常の曲創りの場合は8小節24段の五線紙がを使用するが
4小節12段の五線紙を使用。
譜面を書くこの作業が私の場合の「写経」と云う事になる。
2500年の時を経て、私の目の前に今こうしてある事に釈尊の偉大さを感じてならない。
祇園精舎で弟子たちに聞かせた話を
その2500年後に私がレコーディングする事など、釈尊はお見通しなのだ。
そしてそれは私が釈尊を感じていると云う事に他ならない


阿弥陀経は仏教の歴史において大きな転機になるお経となります。
これまでの仏教は自分自身が悟るための仏教で、小乗仏教」と呼ばれるものですが、
阿弥陀経以降の仏教はひとりでも多くの人々を救うための仏教、「大乗仏教」へと移行して行きます。
ちなみに大乗とは沢山の人々を乗せる大きな乗り物と云う意味です。


妙なる天上の音楽が鳴り響き、心地好い香りの花びらが天空より降りそそぎます。
霊鳥たちがさえずり、心地好い風が吹いています。
あたり一面は金・.銀・瑠璃・水晶の四宝で飾られた垣や並木に囲まれ、八つの効能豊かな霊水に満ちた池は
金・.銀・瑠璃・水晶・赤真珠・瑪瑙(めのう)・琥珀の七宝で飾られ、池の底には黄金の砂が敷きつめられています。
七宝で飾られた高い楼閣がそびえ立ち、池には車輪ほどの大きな色とりどりの蓮の花が咲いています・・・・・

この仏国土に生きるすべてのもの達には一切の苦しみがありません。ただ諸々の楽しみだけを享受しています。
だからこの国は極楽と名付けられたのです。



録音、アレンジは90%終了、現在Mix Down工程です。
YouTubeにて公開しますので動画の編集等は楽しみなところです。年内の公開を目指します。
阿弥陀経の幻想的で驚異の世界を皆さんにほんの少しでも感じて頂けたらと願います。

瞳生 拝

2012年4月7日土曜日


仏の教え
DHARMA
Teachings of Buddha



Vol.1 摩訶般若波羅蜜多心経

私が般若心経に、何らかの特別な意識を持って接したのは25年ほど前の事だ。

当時ソロアルバムの制作中で、体力作りと称しウォーキングを始めたのがきっかけだった。

5キロほどのコースの中に、まずは神社に立ち寄り二拝二拍手一拝と云う動作を加えてみた。

これが案外心地好く、ウォーキングがワンランクアップグレードする気がした。

そして次に思いついたのが、般若心経を唱えながらウォーキングをすると云うアイデアだった。
般若心経を唱えながらウォーキングをすると云う事は、
般若心経を暗記しなければならないと云う事だ。
早速、義姉が持っていた般若心経の解説本、上下巻を借りた。
エイトマンの作者、桑田次郎さんが書いた、勿論漫画だ。
これまで解説本は数多く読んできたが、この桑田次郎さんの解説本は
漫画である分、他のモノよりは楽しく解りやすく般若心経に触れる事が出来たと思う。
結局この時はレコーディング終了と同時に暗記作業も終了し、半分程度憶えるに留まったが
般若心経の全体像には微かに触れたような気がした。

そしてこの後、般若心経と再会する事になるのはその18年後、
妻の七七日の法要の後だった。

年も明けたと云うのに、夕暮のベランダから沈む夕陽を眺めるだけが日課だった。
時々立ち寄る本屋のレジの横の特等席に、
手に取りなさいと云わんばかりに、高々と積み上げられた本
立松和平訳「般若心経」だった。
立松和平さんのあの微妙な訛りが聞こえてくるようで、般若心経がとても身近に感じられた。

そして私は、ついにこのお経をクリックしてしまい、
ネット世界の広がりのように、釈迦の教えの世界へと深交した。


釈尊を一人の人間としてとらえるならば、
彼は偉大な哲学者であり、天才的な思想家であり、豊かな表現力を備えた詩人であると云える。
そしてその「教えの言葉」は美しく完成され、弟子達に優しく歌い語られたのだろう。

私の旧友に3人のヒンズーの僧侶がいるが、
彼らの教えはそれぞれがひとつの楽曲になっている事が多い。
その事から察すれば、釈尊の「教えの言葉」は美しい旋律でもあり、
その歌声は人々を魅了したに違いないだろう。
哲学者、思想家、詩人、さらに釈尊を憶い描くならば
歌手と云う項目も、私は是非付け加えてみたい一項目だと思う。

そしてさらに妄想を膨らませるとすれば、釈迦族の王子として生まれて来たと云う事実。
王はおそらく国で一番美しい女性を妻とするだろうから、その子供釈尊はかなりのイケメンで、
古くからの土着的なヒンズーの教えなども取り入れながらオリジナル曲を次々とヒットさせた、
実は彼は才能あふれるシンガーソングライターだと云う事になる。
祇園精舎は日比谷野音で、弟子達はこのロックスターの大ファンで熱烈な追っかけだったと云う事だ。


釈尊は「瞑想」と云う画期的な方法により「空」を体感した。
この宇宙に存在するすべてのものが、粒子により構成されていると云う事実は
今では誰もが知る事が出来る。
しかし釈尊は、遥か2500年以上も前に、この事実を「瞑想」により体感してしまった。
私なりの言葉で表すなら「自己の内なる宇宙」を見い出したと云う事になる。

私も貴方も路傍の石も、粒子のレベルに達すれば皆同じ宇宙の塵のようなもので
何ひとつ異なりはしない。
そしてそれら一つ一つの粒子に自我などは存在しない。
自我などが存在するはずも無い。
だがやがて自我が芽生え、その粒子は私となり貴方に成長してしまう。
私となり貴方になると云うところから、すべての迷いと苦しみが生まれる。

自己の内なる宇宙を体感し、宇宙と一体化した状態が「空」で
般若心経はこの時の状況を綿々と解説している。
これは釈尊の教えの根底にあるものだ。
要するに、「人間も野に咲く一輪の花も同じ一点の命」と云う事実にたどり着く。


自我を確立し自立した「個体性」が関係仕合い発展し、この社会は形成された。
より良いとされる社会を築く為には合理性が最重要視され、
「人間も野に咲く一輪の花も同じ一点の命」などと云う非合理的な「全体性」は
社会の発展と拡大には逆行する、オカルティズムだとされ排除されて来た。
合理主義が科学の発展を促し、当たり前のように地球を覆いつくし、
それまで神と呼ばれたものに取って代わろうとして来たが、
その合理主義と科学は、この世の謎や苦しみをどれだけ解き明かし、
人々をどれだけ幸せにして来たのだろうか。
豊かな社会を作ろうとしたその思想は、どれだけの戦争と貧困を生み出したのだろうか。


仏の教え、すなわちお経は八万四千巻あるとされている。
幸い私はどの派閥にも宗派にも属さない、自由気ままな信心(しんしん)だ。
言い換えれば、何の制限も無く釈尊の教えに触れる事が出来る。

般若心経の作曲及びレコーディングにはおよそ3ヶ月の時間を要した。
和訳、英訳、映像の制作編集等を含めると半年ほどの月日が過ぎた。
第1巻目のレコーディングで試行錯誤の繰り返しだったと云う事もあって、
時間がかかり過ぎたのかもしれない。
ここからは3〜4ヶ月毎に1巻を完成させるとして、10年でなんとか40巻。
目標は108巻のレコーディングだ。80を有に越える年齢となる。
この仕事は音楽に支えられ、釈尊の教えに救われ、ここまで生きて来られた私の最後の仕事だ。
釈尊の素晴らしい哲学を、私の持つ「音楽」と云う表現形式で
一人でも多くの人に伝えられるとしたら、この上のない幸せだ。


釈尊の大ファンとして熱烈な追っかけとして、また一人の「信心」として
私は釈尊の袈裟の裾をしっかりと握りしめていたい。
そして私が旅立つ朝、一瞬と永遠が重なり合う至福の時、
釈尊は微笑み、私の手をそっと握り返してくれるだろう。
おそらくこの世に生を受けた者の至高の幸せとは、この事を云うのだろう。
だが残念な事に、釈尊が私の手を取ってくれたかどうかを、皆さんにお伝えする事は決して出来ない。

それは私に与えられた、ほんのささやかな楽しみだからだ。

  2012年 春   鶯の丘スタジオにて  

     仏の教え  Vol.1 摩訶般若波羅蜜多心経 リリースにあたり    

                                 柳澤瞳生拝



Vol.1 摩訶般若波羅蜜多心経

Maha prajna-paramita-hrdaya
Great teaching of Buddha--to reach the ultimate truth.
偉大なる最高真理への仏の教

歌、作曲、編曲、プログラミング、ミキシング、コーラス/撮影、編集
柳澤瞳生